飛騨総社(県社)とは
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飛騨総社の歴史
境内2,170余坪の地に、飛騨国内の延喜式内社八座国史記載社10座を祀り、古くは「灘の総座ヶ森」と呼ばれていました。
その昔飛騨の国府はここより北へ約1km余りの桐生(吉里府)、本母(本府)、冬頭(府有斗)にかけて存在したとされ、当社はその頭に当る地点であります。
7日の日に市が立ったとされる七日町は参道に通ずる南大路であったと考えられます。国内随一といわれる社名碑や三基の大鳥居を仰ぎ入れば、千古の杉木立に覆われて社殿が聳え。社頭に湧く澄水は緑の神苑に荘厳な佇まいを見せてくれます。(飛騨総社パンフレットより抜粋)
私がお宮参りをしてもらった神社です。お宮参りをした神社の神様は、産土(うぶすな)様と呼ばれるそうです。どこに行っても一生見守ってくださる、いわば人生の守り神です。 この神社には飛騨地方各地の神様が一堂に祭られており、御祭神がたくさんいらっしゃいます。
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飛騨総社の大祭
剣の舞を奉納


10歳の頃、30年に一度の大祭で「剣の舞」を奉納しました。父親が作ったアルバムに当時の写真や新聞記事が載っているんですが、いや〜〜懐かしいですね〜毎晩学校が終わってから、舞の練習をしていたものです。
当時の写真を見ても、現在とそれほど違いはありませんね。大きな被害もなく無事続いています。昔は戦などで何度も焼けたり破壊されたと、パンフレットに書いてありました。 歴史の中で不安定な時期が続いたようです。
神社に行って落ち着くのは私だけではないと思います。いろんな本を読むと、神社などが建てられる場所にはパワーがあるようです。パワースポットと呼ばれていますが、当時の人はそのパワーを感じ取って立てる場所を選んでいたのでしょうね。
神社の中を吹き抜ける風はとてもやさしい。歴史を感じさせる荘厳な雰囲気。神社仏閣は日本の重要文化財として、のちの世代にも脈々と受け継いでいきたいですね!
私は県社の目の前にある保育園に通っていました。自転車の練習をしていて、側道の水路に突っ込んだり(笑)、鬼ごっこをしたり、雪玉合戦をしたり・・・帰省してお参りに行くと、昔の記憶が鮮明によみがえってきます。
飛騨総社の場所は、春慶会館から200mくらいのところです。春慶会館にきたときは、ぜひ訪れてみてください (^^)
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